大分
大分県の地域ブランド推進の食のフォーラムで大分へ行った。
大分は数回訪れたことがある。のどかな大分のイメージはずいぶん変わっていた。駅の近辺を歩いたら、久しぶりの大分市は企業誘致で駅の近辺は開発と破壊と建設のラッシュで、驚いた。駅の前や周辺にビジネスホテルが立ち並び、企業誘致でサラリーマンが利用するためか、アメリカのホリデイ・インのような簡易ビジネスホテルが増えていた。かつてはビジネスホテルといっても、ホテルらしくチェック・イン、チェック・アウトがきちんとホテルのフロントマンと相対で出来たが、新しいホテルはチェック・インのあと支払いは自動計算機で。お金を払うと部屋のカード・キイが出てくる。そのあとは自由自在。チェック・アウトはそのまま無し。朝食はサービスといって、ご飯と味噌汁とあるいは、ロールパンやトースト、お漬物と、野菜の刻んだものと、煮物とお魚の切り身を自分でよそって簡単にすます。北海道ではフロント横のロビーで立ちながらおむすびと味噌汁をサービスというのもあって、まるで餌をのどにかきこんで仕事に出て行く企業戦士というスーツ姿の男性たち。この日本の経済は彼らによって支えられている部分が多いようだけれどなんだか、気の毒な気がしてきた。何のために企業で働いて、何のためにお金をもうけているのだ?
わかっていても改めて聞いてみたくなる。挨拶もしないで、みな知らん顔してエレベーターに乗って、目のやり場もなく時計を眺め、黙ってフロントを通り過ぎ、見知らぬ土地の仕事に出かける。おはよう!ぐらい言ったらどうだ。おはよう、おはよう、って声かけたら、ちゃんとおはようございますと帰ってきたのには驚いた。自分の顔をもてない企業戦士もつらいだろうなといつの間にかおせっかいおばさんになっている自分に気がついた!その点、農業は天国だ!
2月27日、大分県の地域ブランド推進・地産地消の食のフォーラム。
大分の農業生産額は九州で一番最下位なのだそうだ。一村一品の大山町の運動や湯布院、平成大分塾の活動など、全国に先駆けて様々な取り組みの進んだ県だから、大分は農業県だと思っていたから驚いた。企業誘致と農業振興をかかげ、安全、安心な地域の豊かな農産物を大分の人達にわかってもらい、もっと利用してもらいたいというのが狙い。雪印の100株運動の取り組みや、三国の町おこしで町と農村部分の架け橋となるジェラートの取り組みや、ラーバンの森の活動など話してほしいとのこと。30分ではむりだ!その上、お客様の挨拶が長引いて、話の時間が短くなった。後のフォーラムに差し支えるから要点だけを話すことになったが、難しい。しかもフォーラムが始まったら、司会の新聞社の先生が、ヨーロッパの国防について農業の観点からどうなっているのか話してくださいと話題を飛ばした。そんな話は我が家の一之さんの得意分野。グリーンツーリズムは、ヨーロッパの辺境の中産間地に農業をしながら暮らしてもらうことで、地域の景観を維持し、土地を守り、食料を生産し、国民の目の届かない部分を生活しながら守っているの。そのために都会の人達の税金使われているということを人々は了解しているのだということを話したけど、難しかった。この司会者は日本の自給率の低いことを憂え、食料生産は国防だといいたかったらしい。さすが新聞社の論説委員。パネラーのお米を作っていらっしゃる方がフェミニストで奥様をとても大切にして温かい農家であるということが話の中で感じられて聞いていて楽しかった。消費者代表の生協の理事さんが社会の物事に対して熱血で鋭くて、いいとわかればすぐ行動を起こす方で、温かいところに住む人は行動が早いなと思わず聞きほれる素敵な女性だった。聞いてみれば大学の先輩。それも文学部。早稲田の文学部といえば気持ちのまっすぐな過激な人が多い。なるほど!となっとく。
その先輩が後で、「私の妹のところのお母さんが具合が悪くて、あんまり食べられないの。それでね、おいしいプリン送ってくれない?」と送り先を書いてプリンの注文をくださった。「喜んで!」といってその紙をみたら西田利行様と書いてあった。「あら、同姓同名の方がいらっしゃるんですね。」といったら、「本人よ」といわれた。世の中、いろいろあって人のめぐり合いはわからないものだ。カルナのプリンが小さな幸せと喜びを届けることが出来るならこんなうれしいことはない!
この会に大山町の矢野さんが来てくださっていた。梅、栗植えてハワイへ行こう!から始まった大山町の一村一品の村おこし。かって訪れた矢野さんの畑の梅林は見事だった。初めてお会いしてから14年が経つ。小さな加工場から出発した梅干作りは第2回の梅干日本一になって、きのこ栽培から梅干加工専門で大きな事業になっているという。そのころ始まった大山町の直売店「この花ガルデン」は福岡をはじめ、大分一帯に7店舗を持ち、案内していただいたときわデパートのなかにはバイキング方式のレストランも出来人々の人気を呼んでいた。
長い時間の積み重ねを続けて、山の中の小さな大山町の取り組みは、大きく深く広がっているのが見えてきた。この十数年間に数回大分へ訪れて、一つの動きがどのように広まり動いていくのか、矢野さんの暮らしを通して見せていただくことが出来た。かって200年前の江戸時代の梅干を見たことがある。黒茶色いしわの小さな塊が、大皿の真ん中にちょこんと乗っていた。ただの梅干、されど梅干!
